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Greedier☆+゚。。。NEWS

NEWSの笑顔ずっとみていたいそんな風に思ったら

手越さんについて本気出してまとめてみた。

手越祐也 NEWS まとめ・考察 雑誌

こんにちは。

先日のシゲについて本気出して考えた記事がものすごい反響で超驚いております。ありがとうございます。

実はシゲのまとめとともに同時進行で手越さんについても書いておりました。 

はっきり言って、文字だけを追うとシゲの方が何倍も何十倍も共感できる部分があると思います。
それは、シゲが弱さをも素直に吐き出してそこから自分を見つめなおして成長した姿が現れているからかなーと。
すごく人間くさくて愛しいのだと思います。

てごちゃんの場合は、文章の上では本当に強くてまっすぐでブレていなくて、テレビで見る手越祐也の言葉って感じ。
きっと彼のもともとの芯の強さ半分、もう半分は「強くありたい」っていう気持ちの表れで、強い言葉を口にすることで自分を奮い立たせているのかなと。
今回も完全に自己満ですが、趣味でまとめます…♪
(シゲのもそうですが、敬語を殆どとっぱらってまとめています。)

                • -

■負けず嫌いが形成されたこども時代

一番古い思い出は家族でスキーに行った時のこと。
いきなり斜面に連れて行かれて、手を離されて、小さいながらに「ムチャだよ!」って思った(笑)
さすがにその時は転んだけど、毎年スキーに行ったから、小1の時には滑れるようになって、体を動かすのは小さい時からすきだったし、足も速かったな。

その頃は目立ちたがりで、今よりも人見知りをしなかった。
リレーならアンカー、演劇なら主役、応援団なら団長、リーダー的な事を必ずやっていた。
戦隊ヒーローも好きだった。その頃、色は青が好きだったんだけど、戦隊ものとかだと赤がリーダーで先頭に立つから赤が好きだった。

サッカーも幼稚園の時にラモス選手が好きになって始めた。
日本代表の試合を見て、「日の丸を背負ってかっこいい!」って。それに、ラモス選手は誰よりも熱かった。チームを鼓舞する感じがカッコ良かった。

3,4,6年生で3回告白して3回フラれた(笑)
「これをやりたい」とか「これほしい」とか、たとえば髪の毛切りたいとか、思ったらすぐやらないと気が済まない。だから、この子好きだって思ったら、すぐに気持ちを伝えなきゃ!っていきなり告白しちゃって。
何にもしていないのにいきなり告白するから、そりゃあフラれますよ(笑)器用な人もいるけど、俺はできないな。そういう意味では不器用だとおもう。

同じくその頃から変わっていないことは「負けず嫌い」なこと。『いちばんじゃない=かっこよくない』って思ってたんだよね。
2番手、3番手じゃ意味ないじゃんって。サッカーだって、レギュラーとんなきゃ意味ないって。
負けず嫌いは、サッカーをやった影響が大きいと思う。

スポーツって、よく過程が大事だって言うけど、俺は昔から、過程はゼロでも結果を出せばいいんじゃないかと思ってた。
例えば、踊りの練習も、歌の練習も、全然しないけどすごくうまい人がいたとする。10時間、100時間練習しても、その人よりうまくなれなかったら意味ないと思っちゃうんだ。そういうのが俺の基盤にある。結果を出せるかどうか。楽しむだけじゃ意味ないし、勝てなかった相手に勝つのが楽しい。負け続けたら悔しいだけだと思っちゃうんだよね。

小学校の時から、習い事もいろいろしていた。
水泳やピアノも習っていたし、塾も行ってた。でも、中学受験で失敗した。
いい感触でテストが終わって、余裕だったって親に言ったから、そこが落ちたのはショックだった。すごい挫折感で、精神的にもだいぶ落ちた。結果的には他が受かってよかったけど。

中学は男子校でめちゃくちゃ楽しかった。
いつも仲のいい5人で遊んで。俺は部活を毎日やっていたので、雨が降った日とかじゃないと一緒にいられなかったけど、放課後、新宿とか渋谷に遊びに行って、買い物をするわけでもなく、街中で面白い人や面白いことを探す。たとえば、じゃんけんで負けたやつがスクランブル交差点が青になった瞬間に全力ダッシュで渡るとか、女性の下着売り場に入るとか。残りの4人でそれを見てゲラゲラ笑って。ほんとくだらない、お金のかからない、簡単にできる遊びばかりしていた。
どうしてそんなに仲が良かったかって、クラスが一緒だっただけだけど、みんながいい意味でバカだった。なんでも、くだらないって言わないで、あるもの、与えられたもので、どうやったら最大限に楽しめるかを探す奴らだった。遊びにも一生懸命だった。


■親の友達に進められて受けたジャニーズのオーディション

もともと芸能界に興味は全くなかった。
小さいときに「ジャニーズ顔だね」って言われたこともあったけど、「どんな顔だ?」って思ってた。

でも、歌はずっとすきだった。中2で友達とはじめてカラオケに行って、「うまいね」って褒められたのが嬉しくて、「じゃあもっとうまくなりたい」って思って、ボイトレに通った。でもボイトレもお金がかかるから、親に1か月だけ行かせてほしいと頼んで、週1回、4回だけ通わせてもらった。
典型的なほめられて伸びるタイプだった(笑)今でもそう、ほめられるとがんばっちゃう。

ジャニーズに応募した経緯は、お母さんの友達に受けてみたら?って言われて。
でも、絶対芸能人になりたいっていうわけではなかった。出来心と言うか(笑)

オーディション当日、自分は経験ゼロだったから踊れなかったけど、まわりはこの日の為に練習しました!みたいなかんじで、すごく踊れるオーディション生とか、バク転ピョンピョンできる人もいて、すげーな!って。
俺は踊れなかったけど、休憩時間も一生懸命練習した。俺は中3だったけど、ほかは小学生がいっぱいいて、小学生に負けるのは悔しいから。30分練習したところで勝てっこないんだけど、それでもやらなきゃ、「男として年下に負けてらんねえ!」って。
軽い気持ちで受けたはずが、気づけば本気になっていた。

終わったところで、大人の人が近づいてきて、俺ともう一人、(八乙女)光が「ユーたちあっち行っといて」って。
「今からスタジオで雑誌の撮影するから、Jr.と一緒に写ってきて」って突然言われて、「え?!」って感じだった。
そのまま雑誌の撮影に参加して、さらにそのあとに社長に「代々木体育館へいくよ」って言われて、V6のコンサートを見せてもらって。
芸能人をほとんど知らなかったけど、学校へ行こうを見ていたから「あの人たちだ!こんなにファンがいるんだ!」って驚いた。
ただもうかっこいい、天の上の存在と言うか、いつか俺もああなりたいなんて全然思わなくて、呆然としたというか、ただただ迫力に圧倒された。

■マイクを持つことを夢見た、短いJr.時代

その後、ちょこちょこ雑誌に載せて貰えて、レッスンがあったりして、先輩のちょっとしたバックも踊ったりさせてもらって。
でも、同期で一緒に行動していたけど光の方が雑誌にもすごく載ったし、「Ya-Ya-yah」っていう番組のレギュラーにも先になったんだよね。悔しかった。
その頃の目標は明確には無かったけど、マイクは持ちたいと思った。
キャリアも実績もなにもなかったけど、歌いたかった。俺、サッカーしかしていなかったから。スポーツって、年齢も競技歴も関係なく、うまいやつがレギュラーでしょ。だから、この世界もそうだろって。マイクを持てない悔しさをどうしたらいいか考えたら、やっぱりもっと実力をつけるしかない、認められるしかないって、レッスンを頑張った。

踊れないのは悔しかった。振付師の人から「踊れなきゃ外されるぞ」って怒られるし。経験ないから踊れるわけないって思ったりもしたけど、文句を言ったところで踊れるようにはならないから、自分で踊りの先生をさがしたんだよね。
事務所に関係なく、個人的にレッスンしてもらった。

歌が上手いと言ってもらえたのは、Jr.に入ってすぐ、トニセンのバックで踊った時、Jr.のメンバー30~40人が楽屋にいて、俺がちょうどトイレに行っていたとき、スタッフの人が「この中で誰か歌えるやついないか」って聞いたらしく、ちょうど前日一緒にカラオケにいったJr.が、「手越歌えますよ」って言ってくれたらしい。
「歌えるのか?」ってそのスタッフさんに聞かれて、「歌えるかわからないけど好きです」って答えて、世界に一つだけの花を歌った。そのあと、社長の前でもう一度歌って、そしたら社長に「じゃああさって横浜アリーナKAT-TUNのライブあるから、そこでユー歌ってもらうから」って。もうわけがわからなかった。とにかく必死で練習した。
そして、その時にマッチさんの「夕焼けの歌」を一緒にうたったのが増田だった。

増田はその時点で5~6年のキャリアがあって、声援があった。俺の時にはゼロ。明らかに会場が「誰?」って空気でシーンとなって。
その中で歌って、社長には「よかったよ」って言ってもらえたけど、正直緊張しすぎて、がんばって歌っただけで、うまく歌えたのかどうかも分からない。
でも、緊張しすぎていたから、12000人の前でいきなり歌えたんだと思う。

■NEWSでのデビュー

ジャニーズに入って8か月でNEWSに入れてもらった。
デビューもできてすごく楽しいんだろうなと思ったり、毎日がハッピーになれるんじゃないかと思いたかったけど、いざNEWSで活動をはじめてみると周りは大先輩
遠征先でもみんなが話していても、俺は1歩引いてしかみる事ができなかった
いいな、話に入れたら楽しいんだろうな、くやしいなって思ってた

■NEWS辞めてしまおうと思ったデビュー初期

そんな中で迎えた1stコンサート。
2フロアを貸し切ってのリハーサルだった。
休憩時間、少しでもメンバーに追いつこうと下のフロアでダンスの練習をしていたら、上のフロアで通しリハーサルが始まってしまっていた。
NEWSはグループだから、一人欠けるだけでフォーメーションが崩れてしまうのに、自分のせいでリハーサルが中断してしまっていた。
俺は休憩時間として与えられた時間の中で少しでもメンバーに追いつきたいと練習をしていただけなのに、と思いながらも、その時はひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい」と、謝るしかできなかった。
メンバーみんなには「なにやってるんだよ、」「どこで遊んでたんだよ」っていう目で見られてしまった。
ただでさえメンバーとの距離感を感じていたから、さらに溝ができてしまった気がして悲しくて悔しかった。

俺はいつも、そんなに自分の相談事を人にしたくないと思っているけど、その時には本当につらくて、「NEWSつらいんだ、きついし、悔しい」って友達に相談した。
がんばれよって言ってくれると思った。
そしたら、「え、手越ってそんな弱い人だっけ?やめるならやめればいいじゃん後悔するのはお前だし」って言われた。

俺はここでNEWSっていう夢をあきらめて別のことをしはじめるのがいいのか、もう一度勇気をだしてNEWSにぶつかっていくのがいいのか、
当時すごく考えた。
俺はあまり泣きたくないけど、その時は久しぶりにこんなに泣いたなっていうくらい泣いた。

NEWSつらいから、諦めて普通の生活に戻ったほうがいいのかなって思った。
そういう結論が出そうだった。

■ファンレターや先輩の言葉に勇気をもらえた

そうして考えていたら、机の上に、ファンの子から貰ったファンレターが目に入った。
俺は毎日NEWSでつまらないとか、つらいとか思いながらやっていたのに、そんな自分に「手越くんを見ていると元気が出ます」「一生ついていくので、がんばってください。」「体には気を付けてね」っていう言葉を書いてくれていた。

今ここで自分が自分の夢をあきらめてほかの道に進んでいくのは、もしかしたら簡単かもしれないけど、
もし今俺がNEWSからいなくなったらその人たちはどうなっちゃうのかな、もしかしたらすごく悲しむんじゃないのかなって考えたら、
せっかく応援してくれるその人たちを裏切ることはできない。
つらいからNEWSやめますっていうのは絶対できない。
自分がつらいなんてたいしたことじゃないと思った。
もう一度勇気を出してNEWSにぶつかろうと思った。

翌日のリハーサルの時に、コンサートのコーナーで山下くんに一緒に歌ってほしいですって頼んだ。
今だったら、もっと普通にお願いできたかもしれないけど、その当時の俺には、山下くんに一緒に歌ってくださいっていうなんて、すごく勇気のいる行動だった。

もし嫌だって言われたらどうしよう、怖いな、って思いながら聞いた。
山下くんは「手越からそうやって言ってきてくれるのはうれしいし、せっかくなんだから、いっぱい練習してから披露しようね」って言ってくれた。
その言葉ひとつひとつが本当にうれしかった。NEWSに少し近づけたんじゃないかって思った。

NEWSとして活動していく中で、自分が認められるなら歌しかないと思った。
自分の中で曲げられないもののひとつが「きちんと歌うこと」
どんなに喉がいっちゃっても、しゃべる声も出なくても、だったらその声で伝えたほうがいいと思う、俺は

だからテゴマスというヴォーカルユニットを組ませてもらえると決まった時はうれしかった。
今ではNEWSとか、テゴマスとか、そういう場所が自分にとって宝物だし、
そういう場所があるのは、自分があのとき背中を押してもらえて、勇気をだして行動できたから。

あと、大きかったのはV6の岡田君の言葉。
FNS歌謡祭の会場で初めて会って、「手越くんだよね?」って声をかけてくれて、「芸歴が短くて、足りないこと、大変なこと、いろいろあると思う。俺も同じ境遇だったからわかる。がんばってな」って言われたんです。めちゃくちゃうれしくて心強かった。経験しなければわからないことってやっぱりあるから。
俺の最初の頃の大変さは誰にもわからないって思っていたから、同じことを経験してきた人の言葉は、すごい重みがありました

…………………………
※いつかの伝言板で聡マリに「一生懸命頑張って努力すれば、時間はかかっても成果がドンと花開くときがくる。がんばってな」って言葉を贈ったのは、岡田君からもらった気持ちを同じ境遇の後輩にもエールとして送りたかったからなのかなと思っています。
…………………………

その後、NEWSの活動が好きになっていったのはライブの存在が大きい。全員でひとつのものを作る、そのために話し合って、意見を出し合う。そういうことをやっていくうちに絆が生まれて、同時にライブをやるたびに少しずつファンの声援が大きくなっていったんです。すごく嬉しいなって。ファンの人たちに、本当に救ってもらった。

その後、NEWSが活動停止になり、カウントダウンコンサートの時に6人で復活を果たした。
復活してから最初のコンサートで、山下くんが「ここからが、俺たちの本当のスタートだよ」って言ってくれた。
うれしかった。NEWSに入って誰の背中を追っていたかと言われたら山下くんだった。
その年の11月で20歳になった。もう20歳になるのだから、いつまでも後輩としてメンバーに甘えるのではなく、NEWSに何かあったときには自分が先頭に立ってみんなを引っ張っていけるように成長したいと思った。

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■なんとかなる、と思えなかった2人の脱退

メンバーの脱退に関しては、その都度なんとかなるって思っていた。むしろ、歌うパートが増えるから自分ががんばらないといけないって気持ちになった。
でも、さすがに山下くんと錦戸くんが抜けることになった時は違った。
山下くんの気持ちがNEWSから離れているかもしれないと感じたのは脱退の1~2年位前。一緒にいるんだから言葉にしなくてもわかる。
東京と大阪でやったドームコンサートのあたりで、もうNEWSとして楽しくないのかもしれない、このままではダメかもしれないって思った。

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だからといって、当時自分からNEWSのために何かをしていないし、ほかのみんなも気づいていたはずなのに話そうとしなかったのは事実。
6人で話し合ったことはコンサートの曲順くらいで、いちばん話すべきNEWSのことは話したことがなかった。
メンバー同士でいろんな方向性の話があって、それからスタッフとそしてファンの子と向き合っていくべきなのに俺らには最初の段階がなかったのかもしれない。
今考えたら、そんな関係性でうまくいくはずないんだよね。当時NEWSのこと、誰がどうおもっていたかがわからないなんて。本当ごめんね。
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二人が抜けるのを知らされたとき、ほかの3人は止めたかったのかもしれないけど、俺は去っていく人を止める気持ちはまったくなかった。一気にNEWSからふたりがいなくなることを現実として考えることができなかったのかもしれない。いつも通り「なるほど、なるほど」って理解しようとしたけど、何も言葉が出なかった。
怒り、さみしさ、何の感情もない状態で考えたことは「NEWSは心臓部分を失ってしまった。また飛ぶことはできるのだろうか」ってこと。
そういう不安みたいな思いがあったのにふたりを引き止めなかったのは、俺のプライドでもあったかもしれない。
実際当時はCDリリースもライブもないっていう状態で、NEWSというのは名前だけ。本当に待ってくれているファンの人に申し訳なかった。
だからといって、メンバーの中でひとりでもNEWSをやる気のないひとがいたらグループの活動は止まってしまうっていうことを考えたらそこは抜けることも仕方ないって思った。
無理に引き止めたところでなにも変わらないから。もうそんなNEWSは嫌だった。

■テゴマスを選ぼうとも思った

ふたりがNEWSを抜けてから正直すごく悩んだ。ふたりが抜けてNEWSがパワーダウンしたと思われたくはなかった。
テゴマスとしての自分のことも考えた。テゴマスとして出れる歌番組があり、NEWSでは関われないような人とのつながりも見え、なによりファンの中でもテゴマスの存在が確立してきたところだったから。
慶ちゃんはNEWSの今後について話し合いたかったと思うけど、俺は3度目のライブにかけていたから、終わるまでは集中したかった。
3度目のライブがうまくいったらテゴマスで…って、テゴマス1本で勝負していくほうに気持ちが傾いていた。

でも、NEWSがどうなるかわからなかったとき、たまたま見ていた動画にガツンとやられた。
それは全世界のNEWSファンからのメッセージだった。これからどうするのか、自分でさえ決められない状態だったのに「NEWSを残してくれてありがとう!」ってみんなが横断幕を持って俺らにお礼を言っていたんだよ。
今、テゴマスに決めたらこの人たち全員を裏切ることになる。こんなに応援してくれている人がいるのにNEWSを終わらせられないって。
そこから、NEWSを残すためにどうしたらいいのか、俺はどう動いていくべきなのかを考え出した。
テゴマスのコンサートでさくらガールを歌うと決めた、それが答えだったんだと思う。俺はNEWSとしてやる。やりたい。っていう答え。

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■NEWSとしてもういちどやるからには絶対に負けたくない

NEWSとしてやると決めたからには、6人のNEWSよりパワーアップさせたいと思った。
年下だし、一番後輩だけど、エースとしての強い意志をもたなきゃいけない。
みんなをまとめるのは慶ちゃんがいる。だから俺は特攻隊長になるって決めた。
グループとして言わなきゃいけないことは言うし、声出しは俺がやっていこうって決めた。
動き出した歯車の原動力になるには、胸に秘めた思いだけじゃダメ。もちろんグループにはそういう役割の人も必要だけど、しっかり言葉にだして伝えていくのが俺の役目。
NEWSにいい風がきたら3人に受け流す。NEWSが何かに傷つけられそうになったら俺が矢面に立って受け止めて、それをぶった切る。
それが俺の考えるエースっていう立ち位置。

「やる気のない人をグループにとどめるが正しい選択かといえば絶対にNO」

あの言葉を聞いて、俺のことを嫌になる人がいるかもしれないけど、俺は嫌われることってマイナスだけじゃないと思っている。
嫌われることを恐れて嘘をつくくらいなら、正直に言って敵を作ったほうがいい。
もちろんそれが正しいかはわからない。もしかしたらあの時も、「やめた二人のことは応援しているし、ライバルです」っていうコメントをするのがおとなだったかもしれない。けど、そのときは絶対にそんな言葉は言えなかった。
もちろん今ではいいライバルになりたいから応援している。ふたりが輝くことで俺も絶対に負けないという活力になるから。

■こらえきれず泣いてしまった『フルスイング』

4人でのライブは今までと違った。全然違った。
今までは土俵の真ん中でやる感じだったけど、あの時は土俵スレスレ。みんなの反応が想像つかなかった。
ファンの子たちも捨て身できてくれるんじゃないかなって、それくらいの危機感のある熱を感じながらのライブは初めてだった。

あの涙は、………なんでかね?
3人が涙腺崩壊していたけど、だからこそ俺は絶対に泣かないと思った。
グループ全員で泣くなんて恥ずかしいって思ったから我慢していた。我慢したかった(笑)

でも『フルスイング』だよね。テゴマスのライブで『さくらガール』を歌った時は客席をみる事ができなかったけど、『フルスイング』ではみんなを見ないなんてことができなかった。
そしたら、大サビの前で泣いている女の子が目に入って『NEWSは私の生きがい。残してくれてありがとう』ってメッセージを掲げてくれていた。それを見てもうダメだった。
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こんな状況を作ったのは俺らの責任で、リリースもライブもしないっていう最悪なグループだった。
そんな俺らにみんながくれた言葉は「ありがとう」って。
うれしいけど、その反面その言葉は絶対みんなに言わせたらいけない言葉でもある。
俺らがみんなに言いたいんだもん。

6人のNEWSが好きだったって言われるのは絶対にイヤだし、また6人に戻る日が来るはずと思われるのも悔しい。
もしそう思っている人がいるなら、それは俺らの力不足だから、もっと頑張らないといけない。
NEWSは4人のグループ。それはこれからもずっと変わらないから。

NEWSは俺らにとって宿命。俺らはどんなことがあっても応援してくれたみんなを幸せにする義務がある。

これから先、ファンがたとえ1人になっても4人のNEWSでいたいって思う。

手越祐也としての今後

これは決して否定するわけじゃないけど、役者の方がバラエティーとか歌をやったり、芸人さんが100%お芝居をやったり歌ったりって難しいと思うんです。でも、ジャニーズ事務所の人はそのチャンスをもらえる。
だからそのすべてをマックスにしたい。映画に出してもらえたり、ドラマをやらせてもらったり、CMもバラエティーも、歌も歌える、ライブもできるってそんな事務所ないから。ジャニーズ事務所は日本一恵まれた環境で仕事ができる事務所だと思っている。
この事務所に入れて、歌もお芝居もそういうものすべてをやらせてもらえているからには、あいつは歌はいいけどお芝居がダメだとか、やっぱり言われたくない。
そのためには、1日24時間じゃ足りないけど(笑)
目標に近づけるのは何歳かわからないけど、そうなりたい。
俺の職業は歌手でも俳優でも芸人でもなく、アイドルだと思っているから。
常にファンの人たちに感謝の気持ちを忘れずに、30歳になっても40歳になってもアイドルを続けたい。
何を要求されても、それを見たいと思って喜んでくれるんだったらちゃんとやる。マックスでやる。それを嫌がる人間にはなりたくないって思います。
俺らの仕事ってファンの子がいなきゃカッコつけても意味ないし、存在する意味もない。
大人になったらかっこいい姿だけを見せたいって人がいるけど、俺はアイドルはそうじゃないと思っている。
ファンの子が望んでくれるなら、カワイイことだってやるべきだし、それに応えていくのがアイドルだと思うから。
これからも自分を素直に表現しつつ、ファンの子とつながっていきたいな。
アイドル=手越祐也ってイメージがみんなにつくくらい、なんなら2位の人にダブルスコアで勝つくらいがんばるんだ。そこは誰にも負けないからね♥



…………………………
※長い(笑)
Myojo10000字インタビュー、ポポロロングインタビュー、+act12000ワードインタビュー、テゴラジ、少プレ(2007ゲスト出演)での言葉をまとめてみました。

シゲが、虚勢を張っていた時代を超えて4人になってから素直になったのに対し、彼は4人になってからよけいに強くあろうとしているような気がします。
2011年のMyojoでは「日本中の人に好きって言われたい」と言っているのに対し、2013年のポポロでは「嫌われることは必ずしもマイナスではいって思うようになった」と言っていました。

「やる気のない人を~」発言の時から思っていたのですが、NEWSでもういちどやると決めたからにはグループの先頭に立って、外に敵を作りやすいポジションだってなんだって覚悟してやってるのかなと。
「慶ちゃんを嫌いな人はいなくても俺を嫌いな人はたくさんいる」って、「みんなから好かれたい」って言っていたのにあえてそのポジションに立とうとする彼を、私は素直にかっこいいなと思います。

いちばん後ろの位置にいた手越さんが「エース」という位置に立つのを快く思わなかった人はグループのファンの中にもいたんじゃないかな。「なんで手越が?」っていうファンもいたような気がする。(というかいた)
きっと「エース」とか「センター」とかって、絶対的なものだったり、グループで活動するうえでゆっくり完成されるものだったり、いずれにしても手越さんのようにいきなりセンター不在でその位置に立つ(しかも一番後輩で一番年下)っていうのは、あまり例がなかったと思います。

6人時代の手越さんは今より空気が柔らかくて、年下キャラで、イタズラ好きで(ん?今もか。)
P亮に対して後輩としての遠慮がありつつも二人を本当に慕っているようで、みんなの弟で、可愛かった(今も超かわいいけど)
今の手越さんは言葉も気持ちも強くて、何を言われても気にしない、誰に嫌われてもマイナスじゃない、ウザい嫌いCOMEON!みたいに振る舞っているけど、本当は人から嫌われたいわけじゃない、強いのではなくて強くありたいんだと私は勝手に思っています。
そして、慶ちゃんとシゲとまっすーはそんな手越さんが必死に隠している弱い部分をちゃんとわかって、「手越は強いなあ」って言いながら守ってくれてるような気がする。

美恋のフルスイングで手越さんが泣いてしまったとき、3人とも全然驚く様子もなく、すぐに手越さんに寄り添ったのを見て感動したな。
シゲはね、手越さんの泣き顔を見ないようにしてたんだけど、きっとあれは「同い年として、泣き顔に気づかないふりをする」っていう彼なりの最上級の優しさだと思う。

手越さんが3人に出会えてよかったなあと心から思います。
私も手越さんの事「強いなあ」って言いながら、か弱い所に気づかないフリして、でもちゃんと見逃さないで忘れないで応援したい。そういう宗教です。

あと、手越さんの、「~じゃない人」の気持ちをいちばんに考えてくれるところ本当に好きです。
これ何度もツイッターで言っていますが、NEWSが初めてドームでコンサートをした時、地方から遠征なんてまだできなくて完全に子供の嫉妬でふてくされていた私が「ドームだからって特別なことは無い。全ての公演を全力でやる」っていう言葉にどれほど救われたか。
雨の秩父宮で「明日来れない人は?」って真っ先に言ったってきいて、変わってないなあって思った。
デビューの時の映像で、「今日ここにこれなかった人も」って言ってて、最初からなんだって感動した。
いつも「~じゃない」、その他少数の気持ちをわかって気遣ってくれる優しいところ、
10周年のドームでも、「今日ここに来れなかった人にも」って言ってて、私はそこに居たけど、嬉しかったな。

あと今年は、NEWSでの仕事をたくさんやりたいんだなって、その熱量を感じました。
NEWSで頑張りたいっていう手越さんが嬉しい。
ゆっくりでいいから一つ一つグループとしての夢を叶えてほしいです。
いつだって4人に会いたいって思いながらNEWSのことずっと待っています。
ずっとずっと待っています。


ほんとに、ずっと待っています………(怖)
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